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#自分の境遇に満足する [学問]


#自分の境遇に満足する
 フィリピの信徒への手紙 4章11節の「満足する」の元の言葉は,名詞形でアウタルケイアといい,哲学史上重要な概念である。通常「自足」と訳され,それを私たちは,「自分の必要を自分で満たす」であるとか,「限度を知り,現にあるもので満足する」というほどの意味で使っている。しかし,アウタルケイアの根本の意味は,「自分で自分自身を支配するような状態」である。それは,自らを自制し,他者によって支配されず自由であるということだ。そして自由(エレウテリア)とは,人生を自ら指導すること,万事にわたっての自律。人生において,思うがままに生きる能力である。
 この意味におけるアウタルケイアを徹底的に生きた人が,アレクサンドロス大王のおかかえ哲学者アリストテレスから「犬」呼ばわりされ,見下された哲学者,シノペのディオゲネス(前404頃〜前323頃)である。甕の中に住まい,頭陀袋を下げ,襤褸をまとって犬のようにアテナイの町をうろつき,教えを説いた。
 大甕の逸話は有名である。ディオゲネスが大甕のなかで日向ぼっこを楽しんでいたところ,アレクサンドロスがやってきて前に立ちはだかり,「余がアレクサンドロス大王だ。なにか余にしてもらいたいことはないか,何でも申せ」と言った。すると,ディオゲネスはこれをじろりと見上げ,「わしが犬のディオゲネスだ。おまえが前に立っているので日陰になる。どいてもたいたい」と一喝した,という。
 シノペの市民であったディオゲネスは嘘偽りに満ちた社会を激しく批判したため,一人の従者とともに国を追放された。家もなく,日々の糧を物乞いして異国の町や村をさすらい歩くなか,彼に同行していた従者も,困窮と悲惨のどん底にあるディオゲネスを見捨てて逃亡してしまった。ディオゲネスはまったく天涯孤独の身になってしまった。頼むべきは自分だけ。どうしたらいいのか? 
 面白いことに彼はネズミの生態から活路を見いだした。ネズミが寝床を求めることなく,暗闇を恐れることもなく,美味美食と思われるものを欲しがりもせず走り回っているのを見て,自分の置かれた状況を切り開ける手立てを見出すに至った。ネズミの天然自然のふるまいこそが,彼に慣習,掟,法の虚構性を教えた。人間生活から外面的なメッキを剥ぎ取るなら,そこには赤裸々な動物的自然が立ち現れてくる。「生きること」「自足すること」の最も根底にあるものは,この動物的自然なのである。
 この心構えはパウロにも共通していると思われる。12節を参照。13節も読もう。これをディオゲネス流にいえば,「他に何もないとしても,少なくとも,どんな運命に対しても心構えができている」ということになろう。
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