#電気に支配される人間でいいのか [学問]
#電気に支配される人間でいいのか
人間社会にとって一番大事なものは,電気なのか人間なのか。というのも日本を含む先進国においては,電気があたかも人間の支配者であるかのようにふるまっているからである。
電気という漢字は,「雷の素(原料)」という意味である。雷は電気作用であるから,うまい表現ではある。もともと,電気はelectricity 等の西欧語の翻訳語であり,琥珀を意味するギリシア語のēlectron に由来する。琥珀を摩擦すると静電気が発生することを発見した故事によるもので,そこからelectricity という言葉が生まれた。19世紀の後半,人間の知恵は電気の実用化に到達した。エジソンによる電球の発明やベルによる電話の発明は,その画期的な事例である。その後,電車,自動車,テレビジョン,電気炊飯器,電気冷蔵庫,電気掃除機,パーソナル・コンピュータ等,電気に頼る便利品が作られ,日常生活の中に浸透している。
たしかに電気関連物は便利ではあるが,電気に頼るものである以上,電気の供給が止まると,たちまち機能しなくなる。人間は電車やエレベータの中に閉じ込められ,家では真っ暗な夜や,エアコンディショナー無しの暑苦しい生活を余儀なくされる。スーパーマーケットは閉まり,コンビニエンス・ストアはインコビニエント・ストアとなる。もっと深刻なのは,原子力発電所である。電気の供給が止まり,自家発電能力さえ奪われたとき,有毒な放射性物質を大量に放出し,広範な地域にわたり,人間,家畜,自然に深刻な被害をもたらした。
現代人は電気に依存しすぎている。人間が電気に頼る快適な生活に慣れていくにつれて,しだいに電気がのし上がり,ついには人間の支配者になってしまった。「3.11」により電気が止まると,電車が止まり,携帯電話もつながらず,人間は右往左往した。もっと深刻なことは,日本列島全体が,原発事故のため水素爆発による壊滅の危機にさらされたということである。そうなると,もう人間は電気の奴隷であり,電気は人間の独裁者としか言いようがない。
そもそも電気がなければ,文化や文明は成り立たないのであろうか? たとえば,人知の栄華を極めた古代ギリシャ文明。パルテノン神殿は電気無しに建造された。ソクラテスは電車に乗らず,テレビジョンや携帯電話をもたなかった。それでも,いや,それだからこそ人類最高の知者となった。彼は携帯電話などなくても,話したい人の所へみずから歩いて行き,対面の会話を楽しむことができた。
電車が利用できない場合,歩くということはあたりまえのことだが,現代人は危機に直面してやっとその単純な真理を思い出す。むしろ,日常から,歩くことや対面の会話こそがあたりまえであり,電気への依存は最低限に抑えるというライフ・スタイルが必要ではないだろうか。私たちは,電気に支配される人間ではなく,電気を支配する人間であるべきである。
人間社会にとって一番大事なものは,電気なのか人間なのか。というのも日本を含む先進国においては,電気があたかも人間の支配者であるかのようにふるまっているからである。
電気という漢字は,「雷の素(原料)」という意味である。雷は電気作用であるから,うまい表現ではある。もともと,電気はelectricity 等の西欧語の翻訳語であり,琥珀を意味するギリシア語のēlectron に由来する。琥珀を摩擦すると静電気が発生することを発見した故事によるもので,そこからelectricity という言葉が生まれた。19世紀の後半,人間の知恵は電気の実用化に到達した。エジソンによる電球の発明やベルによる電話の発明は,その画期的な事例である。その後,電車,自動車,テレビジョン,電気炊飯器,電気冷蔵庫,電気掃除機,パーソナル・コンピュータ等,電気に頼る便利品が作られ,日常生活の中に浸透している。
たしかに電気関連物は便利ではあるが,電気に頼るものである以上,電気の供給が止まると,たちまち機能しなくなる。人間は電車やエレベータの中に閉じ込められ,家では真っ暗な夜や,エアコンディショナー無しの暑苦しい生活を余儀なくされる。スーパーマーケットは閉まり,コンビニエンス・ストアはインコビニエント・ストアとなる。もっと深刻なのは,原子力発電所である。電気の供給が止まり,自家発電能力さえ奪われたとき,有毒な放射性物質を大量に放出し,広範な地域にわたり,人間,家畜,自然に深刻な被害をもたらした。
現代人は電気に依存しすぎている。人間が電気に頼る快適な生活に慣れていくにつれて,しだいに電気がのし上がり,ついには人間の支配者になってしまった。「3.11」により電気が止まると,電車が止まり,携帯電話もつながらず,人間は右往左往した。もっと深刻なことは,日本列島全体が,原発事故のため水素爆発による壊滅の危機にさらされたということである。そうなると,もう人間は電気の奴隷であり,電気は人間の独裁者としか言いようがない。
そもそも電気がなければ,文化や文明は成り立たないのであろうか? たとえば,人知の栄華を極めた古代ギリシャ文明。パルテノン神殿は電気無しに建造された。ソクラテスは電車に乗らず,テレビジョンや携帯電話をもたなかった。それでも,いや,それだからこそ人類最高の知者となった。彼は携帯電話などなくても,話したい人の所へみずから歩いて行き,対面の会話を楽しむことができた。
電車が利用できない場合,歩くということはあたりまえのことだが,現代人は危機に直面してやっとその単純な真理を思い出す。むしろ,日常から,歩くことや対面の会話こそがあたりまえであり,電気への依存は最低限に抑えるというライフ・スタイルが必要ではないだろうか。私たちは,電気に支配される人間ではなく,電気を支配する人間であるべきである。
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