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# “人生には理由も意味もない”のか [学問]

# “人生には理由も意味もない”のか

 ヨブは,災害で10人の子どもを喪い,全身を皮膚病に冒され,妻からも見放された.絶望の中にいる彼を,三人の友人が訪れ,偉そうに説教したときの,ヨブの応答が,「自分の生が厭わしい.いつまでも生きていたくない.わたしにかまうな.わたしの日々は一息の間である」(ヨブ記 7章16節).かわいい子どもたちがもういない日々,病気の苦しみが延々と続く日々,もはや妻の支えがなくなってしまった日々,それはまさしく一息の間,空しさ,無意味であるといえる.
 この限界を超えた状況に関するかぎり,ヨブの最大の理解者は,もしかしたら神を信じる人ではなく,神を信じない人かもしれない.サマセット・モームは『サミング・アップ』の中で,神の存在と来世の可能性を信じない立場を取りあげ,次のように述べている.

 もし死がすべてを終わりにするのなら,また,もし善を望み悪を恐れる必要がなければ,何のために自分がこの世にいるのか,そうした状況でどのように身を処すべきか,しっかり考えなくてはならない.こういう質問の一つに対する答えは明らかであるが,不快なものなので大抵の人は直面するのを避ける.人生には理由などなく,人生には意味などない.これが答えである.

 「人生には理由などなく,人生には意味などない」 なるほどそうである.これは強い人の考えだ.ヒューマニズムの考えである.しかし,私はこの考えに徹することができるほど強くない.どんなに神に見放されたとしても,やはり神に希望をかけたい. 
 これに関連して,今は亡き母から聞いた話をご紹介したい.あるとき幼児の私は水疱瘡にかかった.発熱と発疹と水疱のため,私は日夜苦しみ,看病する母もとことん疲れ果てた.夜中に,全身膿まみれの私が,泣きながら「母ちゃん,おっぱい」とせがんだとき,さすがの母もひるんだ.私は何度も泣きながら「母ちゃん,おっぱい」とせがんだ.最期に母は,膿まみれの私を受け入れ,授乳したという.
 赤ちゃんがアンアンと泣いて,母親を求めるように,私は,これからどんなことがあっても,神にしがみついていくしか生きるすべをもたない.
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