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#キリスト者と菩薩の共通点 [学問]

#キリスト者と菩薩の共通点
 キリストに見られる利他的な心(フィリピの信徒への手紙 2章4節)は,日本の仏教文化のなかで育った私には「菩薩」を思い起こさせる.観音菩薩,弥勒菩薩,文殊菩薩,普賢菩薩,日光菩薩,地蔵菩薩などがある.菩薩とは,サンスクリット語の「ボーディサットヴァ」(bōdhi sattva)が訛ったもの.ボーディ(菩提)とは悟りのことで,あらゆる欠点がなくなり,あらゆる美徳を備えた状態を意味する.サットヴァ(菩埵,サッタ)とは,勇気と自信をもち,生きとし生けるもののために悟りを得ようと励む人のことをいう.つまり,菩薩とは,生きとし生けるものの究極の利益のために悟りを得ようという,自発的で真摯な願いをもった人々のことをいう.菩薩は,智慧によって心を悟りに向け,慈悲によって生命あるものを気にかける.他者の利益のために完全な悟りを得たいというこの願いは,菩提心と呼ばれる.


 完全な悟りを得た人が,ブッダとしての釈尊である.釈尊は,最初から悟りを得ていたわけではない.悟りを得るためにすさまじい努力をした.釈尊の前世物語(ジャータカ)によると,釈尊の前世の一つは,マハーサットヴァ(偉大な菩薩)という名の王子だった.あるとき,マハーサットヴァは,林の奥で飢えた母親の虎と7匹の子どもの虎を見た.子どもたちはやせ細っており,まさに命が絶えようとしていた.やさしい心をもったマハーサットヴァは,虎たちの前に身を捧げた.しかし,虎たちは王子の大きなあわれみに感じて,とうてい彼を食べることができなかった.そこでマハーサットヴァは,乾いた竹で自分の頚を刺して,身体を高い山のうえから虎たちに投げ出した.虎たちは涙を流しながら王子の身体を食べた.釈尊は,生まれ変わってからも,努力を重ねた.何度生まれ変わっても,あきらめることなく悟りを得る努力を継続した.その結果,ついに悟りを得た.すなわち,ブッダに到達した.
 ブッダになるまえの段階が,菩薩である.いきなりブッダになることは不可能だが,だれであれ菩薩として善い生き方を積み重ねていくなら,ブッダになることができるという希望がある.
 フィリピの信徒への手紙 2章4節も,同じ方向を指さしているように思われる.私は偉大なキリストになることはできないが,キリストを模範として,一人の小さなキリストになりたいという願いをもつことはゆるされるであろう.
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