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#「盲亀浮木」の仏教寓話とヨハネ福音書9章1節 [学問]

「盲亀浮木」の仏教寓話とヨハネ福音書9章1節

 「イエスは通りすがりに,生まれつき目の見えない人を見つめ
  た」(私訳.ヨハネ福音書9章1節).

 「生まれつき目の見えない人」とは,他でもなく私自身のことである.私は大学1年の春,イエスとの出会いを得たが,その出会いの本質は,「イエスが私を見つめた」ということである.出会いは「出でて会う」の意味であるが,イエスのほうから出でて私に会ってくれたのである.まことに有り難い.
 「有り難い」といえば,「盲亀浮木(もうきふぼく)」の仏教寓話を思い出す,海の底に,目の見えない亀がおり,100年に1度,海面に顔を出すという.海には1本の丸太棒が浮いており,その真ん中には小さな穴がある. 丸太棒は波のまにまに漂っている. 釈尊(しゃくそん)は弟子のアーナンダに問うた.「100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が,浮かび上がった拍子に丸太棒の穴にひょいっと頭を入れることが有ると思うか」 アーナンダは驚いて「そんなことはとても考えられません」と答えた. 「絶対にない,と言い切れるか」釈尊が念を押すと,「何億年×何億年,何兆年×何兆年の間には,ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが, ない,といってもよいくらい難しいことです」 とアーナンダは答えた.これに対して釈尊は言った.「ところが,私たちが人間に生まれることは,その亀が丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも, 難しいことなのだ.有難いことなのだ」 (雑阿含経16)
 「目の見えない亀」とは私のことである.今,私が札幌市民の一人であることは,有り難いことである.拙宅の「聖書・古典講読会」,朝日カルチャーセンター(札幌),北星オープンユニバーシティで,新しい出会いにあずかることも,有り難いことである.「有り難し」から「ありがとう」が派生したというが,私に出会ってくださるすべての人たちに,心からありがとうございますと言いたい.
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